脱お豆腐メンタル!幸せな人生を掴むVol.2ありがとう。お陰様での気持ち

こんにちは☆ポケ美です。

さて、本日はわたしにとっても永遠の課題である【感謝の気持ち】について深くお話していきたいと思います。

感謝、有難い、お陰様で。
美しくて、尊い言葉ですね。
この感謝の気持ちが、自分が生きる軸の一つになっていくと【とても幸せな人生】を創り上げていくようです。
感謝の気持ちを、様々な例題や比較を交えながら、この想いを育てるヒントにされてみてください。

ここで、皆様に質問です。

感謝の反対言葉は何でしょうか。

 

 

正解は【当たり前】です。

 

親が子を育てるのは…当たり前
ご飯が食べられること…当たり前
寝る場所があること…当たり前
仕事があること…当たり前
自由に使うお金があること…当たり前
明日があること…当たり前

今の皆様にとって、日常の【当たり前】はいくつあるでしょうか。そして、その当たり前はみんな平等に当たり前なのか。

 

きっと違いますね?
個人の置かれている状況により、当たり前のレベルは異なっていきます。
しかし、この当たり前だと挙げたことは本当に当たり前なのでしょうか?

 

ずっとは続かない。

 

この世界で絶対不変であることは一つ。
みんないつかは死ぬ存在である。
この事だけが、唯一、絶対という言葉で表現出来るものなのです。

しかし、生活しているといろんなものが当たり前になり、人は当たり前に在るものに対してはなかなか丁寧に扱うことが出来ません。なぜなら、あることが普通になるからです。

そんなものにたいして、いちいち甲斐甲斐しくお世話は出来ないものなのです。

例)
ある一組のカップル。
付き合うまでは優しく尽くして、やっと両想いになれたカップル。
晴れて恋人同士になりました。
およそ最初の3ヶ月ぐらいは、喜びと嬉しさでいっぱいです。
が、だんだんとお互いの存在に慣れてきます。居て当たり前になってくると…不満が出てきます。
赤の他人同士が深い仲になるのですから当然、不満も出てくるかもしれません。
しかし、そこに感謝の思いが存在すれば、不満の伝え方は変わってきます。
今のパートナーがいることを絶対不変的に、一緒にいることが約束された存在ではないのです。
自分の想いを思ったまま、ぶつけるように伝えるとどうなるか?

まず、正誤がどちらにあるにせよ、ぶつけられた方はショックを感じます。
反感、恐れ、怒りなどの感情も出でくるでしょう。
場合によっては、ぶつけられた内容によっては今後の関係を揺るがすような事にも繋がってしまうかもしれません。
不満ばかりを感じてしまう時というのは、足りているもの、満たされているものへの意識が鈍感になります。
満たされない、思い通りにならないことばかりが際立って不満になります。
不満でいっぱいな時こそ、満たされているものを思い浮かべてみましょう。
不満でいっぱいだった心が少しずつほぐれてきます。

朝スッキリ起きることも

仕事や学校へ行くことも

清潔な服を着られることも

車や電車を使って移動して

仲間や友達と談笑を楽しむことも

夢や希望、目標を持ちながら

己の1日の使命を果たしてことも

お昼が来たらご飯を食べて
忙しくてお昼が取れなかった日の夜の晩酌の美味しさは格別で
お風呂に入って1日の疲れを癒してあげることも

今日もいろいろあったけど頑張ったなぁって

自分を褒めながら、ふかふかのお布団で安心して眠りにつけること

この全てが贅沢で嬉しくて幸せで、有難いのです。

当たり前のことだと思いますが
永遠では無くて、終わりはいつ来るのかは分からない。

朝起きた時、今日も生きてて良かった、嬉しいなって思える、そんな朝を迎えられるようになれたら、生き方もきっと変わることでしょう。

見えなかった、見なかった、知らなかっただけで、世界ではあり得ない程に残酷で冷たいことがたくさん起きています。

わたしも全ては分からないけれど、きっとそれは見ることも聞くことも、心が痛んで見ることすらも出来ないのだと思います。

今、これを綴っているわたしも簡単に感謝を忘れます。

当たり前にある幸せに順応してしまい、いかに幸せであるかをいとも簡単に見失います。

感謝を見失ってる時には決まって、不満を多く感じていて、顔は暗く沈んで、発する言葉も荒んでいます。
そんな状態の人に幸せや穏やかなものは寄ってくるでしょうか。

 

答えはノーです。

 

しかし、幸せになる為に感謝するのではありません。

闇雲にありがとうと唱えるものでもありません。

心から、有難いなぁ、助かるなぁ、と思う気持ちを育てること。深く深く感謝していくこと。

どんな時でも感謝を忘れずに生きることが、幸せを引き寄せるのです。

内観という自分を見つめる修業がありますが、一日ずっと自分が誰かにしてもらったことを考え尽くす修業です。

一日目は母にしてもらったことを考え尽くす。

二日目は父、祖父母、三日目以降は兄弟や家族を越えた友人、知人。

最終日には、自分が誰かにしてあげたことを考える。

育ててもらった、字を教えてもらった、ミルクを飲ませてくれた…
そもそも、オムツは何度替えてもらったんだろうか、ミルクは何度貰えただろうか、夜泣きにずっと付き合って、自分の時間をグッと削り、わたしのために生きてくれた、命賭けで産んでくれた。
産んでくれと頼んだ訳では確かにないけれど
産んで貰えたから知った喜びが苦労が生がある。

私たちは唯一無二の母から生まれるとが出来たから自分で居られる。
子を育てることは義務かもしれないけれど、親はそれを放棄することも出来たはず。

それをせずにいてくれたから、今がある。

母だけでも、数え切れないほどの恩があるんだから、他の誰かまで考えるととても生きてる内には返し切れないし、自分が誰かにしてあげたことのあまりの少なさに愕然ともします。

本格的に修業した訳ではないので、全てはわかりませんが、少し考えただけでもそう感じてしまうのです。

ここで、わたしの大好きな詩をご紹介します。

【一日】

不平の百日より 感謝の一日を
憎しみの百日より 愛の一日を
失望の百日より 希望の一日を
悪口の百日より 褒める一日を
戦争の百日より 平和の一日を
罪の百日より 赦された一日を
悪魔の百日より 天使の一日を

河野進さんの詩です。
心が荒んだ時、河野進さんの詩を読みながら眠りにつきます。
河野進さんの詩を拝読すると、温かく、包み込まれるような言葉に自然と涙が溢れてきます。

 

起きた出来事に対して、快•不快を判断しているのは己の心なのです。もともと、出来事には意味はありません。全て自分の判断に委ねられています。

有名な般若心経の言葉に色即是空(しきそくぜくう)と空即是色(くうそくぜしき)という相対する言葉があります。

・色即是空とは…万物(色)を深く突き詰めていくと、実体は存在しない(空)と考えること。

・空即是色とは…なにもない所(空)に、意味をつけ認識することによって存在(色)を見いだすこと。

 

釈迦は修行の中で、この世にある苦しみは、当人の認識の問題であり、苦しみやこだわりの実体は存在しない、と悟りました。その悟りを象徴的に、空という言葉で表しました。

空=無ではない。

空を表現するなら数字の0である。

0とは無いことを表現するものだが、0という存在には可能性がある。

当人の問題、もともと苦しみやこだわりは存在しないとはいっても、諦めと無感覚で終わるということではなく、むしろ、人間的な苦しみや悩みを全身で受け止め、その上で真理に近づき、苦しみだけに捉われず未来を見つめ続けることにある、と。

話はそれてしまいましたが、感謝する気持ちを育てていくと、誰かを思いやる気持ちが増え、結果として心の許容範囲が広がり不快に思うことが減ります。

不満が減ると…幸せに近づけるということですね。

今日も1日ありがとうございました。

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